初めに
このブログでは
国連総会によって採択された
《子どもの権利条約》
(児童の権利に関する条約)
こちらを一日1条ずつ読んでいき
感じたことを思いのままに
綴っていきます📝
第2条 差別の禁止
日本政府訳
まずは、日本政府訳から👇
第2条
引用:子どもの権利条約 政府訳
- 締約国は、その管轄の下にある児童に対し、児童又はその父母若しくは法定保護者の人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的、種族的若しくは社会的出身、財産、心身障害、出生又は他の地位にかかわらず、いかなる差別もなしにこの条約に定める権利を尊重し、及び確保する。
- 締約国は、児童がその父母、法定保護者又は家族の構成員の地位、活動、表明した意見又は信念によるあらゆる形態の差別又は処罰から保護されることを確保するためのすべての適当な措置をとる。
日本政府訳はこちら
日本ユニセフ協会の抄訳
以下は、日本ユニセフ協会の抄訳です👇
第2条 差別の禁止
すべての子どもは、みんな平等にこの条約にある権利をもっています。
引用:子どもの権利条約 日本ユニセフ協会抄訳
子どもは、国のちがいや、性のちがい、どのようなことばを使うか、
どんな宗教を信じているか、どんな意見をもっているか、
心やからだに障がいがあるかないか、お金持ちであるかないか、親がどういう人であるか、
などによって差別されません。
日本ユニセフ協会の抄訳はこちら
個人的所懐
みんな違ってみんな良いは、当たり前
第2条の大まかな内容は
《差別の禁止》
ですね✋
ここ日本でも
やっとこさ
多様性
が、謳われるように
なってきました。
ちょっと話は逸れますが
『みんな違って、みんな良い』
って言葉
ありますよね❓
僕はこの言葉
あまり好きではありません😮
《子どもの権利》を広めるブログで
なんで❓って思われるかもですが
言葉が嫌いというより
あえてこの
至極当たり前のことを
声高に言わなきゃいけない
息苦しい社会が
苦手なんです😥
そんな当たり前のことが
権利を主張する上での
大事なスローガンになっている。
そのくらいこの国では
自身の権利というものや
多様性というものが
抑圧された社会であるのが
ひしひしと伝わります…😥
- 右向け右!
- みんなと同じじゃなきゃ…
- 空気を読め!
こんな見えないプレッシャーを
感じながら生きている人
きっと多いですよね😣
何故差別をしてしまうのか
話を戻しまして
みんなそれぞれ、違う人間
だということを
大前提として
話を進めて行きます💬
差別はしてはいけない
と、僕ら大人たちは
子ども達におそらく教えるでしょう
でも、いつのまにか
子どもたちの間でも
差別は起こってしまいます。
それは何故か…❓
私たち大人が
差別をしているからに
他なりません。
大人が差別するから、子どもも差別する
我々大人は
意図的にしろ
無意識にしろ
気付かぬ間に
何らかの理由で
人を差別していることが
ありますよね。
よくあるのは
男性・女性
ですね👨👩
今の世代の若者は
あまり気にしなくなったかも
知れませんが
例えば
じいちゃんばあちゃん世代が
孫世代に対して
男の子なのに、お人形が好きなのか…
女の子なのに、走り回って…
なんて言ってしまうのを
未だに聞きがちですよね😑
この大人の姿を
子どもたちは自然と見ていて
知らぬ間に差別をしてしまいます。
《アダルティズム(子ども差別)》って?
また、やはり大人からの差別で
《アダルティズム》
というのがあります。
聞き慣れない言葉ですが👂
日本語に訳すると
《子ども差別》
となります📝
以下はWikipediaより引用👇
アダルティズム(adultism)とは、子どもは大人の支配下にあるという考え方、または年齢に基づく主に若者に対する偏見のこと。
アダルティズムは、「大人は子どもよりも優れていて、若者の同意なしに若者に対して影響を与える権利があるとする思い込みに基づく振る舞いや態度」と定義される。これは、「大人の態度、思想、信念、行動に依存すること」とも捉えられる。アダルティズムは若者に対するあらゆる差別を説明するために広く使われており、単に年齢を根拠に偏見を持つ年齢主義とは区別される(年齢主義は若者だけを対象としたものではないという点で)。アダルティズムは、表面上は子どもや若者に対する恐怖心によって引き起こされる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
簡単にいうと
子どもをバカにするような言動
が、それに該当します。
例を挙げると…
- 『子ども騙し』
- 『子どもっぽい(ガキっぽい)』
- 『ガキの使い』
👆上記のような言動は
大人目線で、子どもを下に見ている
酷くなれば子どもの人権を無視しかねない
《アダルティズム》
に該当します。
大袈裟に聞こえるかも
知れませんが…
自分たちが子どもだった頃
大人たちから
『子どものクセに…』
というような
心無い言動で
傷ついたり
抑圧されたり
そんな経験
ありませんか❓
そして
大人になったら
無意識のうちに
アダルティズムを介して
子ども達に差別意識を
植え付けてる可能性も
ある訳です。
差別をなくすには?
さて、ここまで
《多様性》
を大前提にして上で
《子どもの権利条約》
を読み進めるブログなので
大人による、子どもへの差別
もあることを綴りました。
どの国でも環境でも
私たちが生きていく中で
命題となる問題
差別は無くせるのか?
それは、私たち
大人たちにかかっている
そう感じます。
子どもへの差別をなくす
もちろん人同士の差別をなくす
そのためには
我々大人が、子どもたちの
見本にならなければなりません。
相手の立場に立ち
相手を尊重することで
差別意識は
必ず減らせると
思います。
それを意識的にやるのは
すごく大変なことですが
(何故なら、前述したように
気づかず差別してることも多いから)
その意識を常に持って
努力していくことで
子どもたちは
差別していない大人たちと共に
育つことができます。
小さな小さな努力ですが
子どもへの差別
子どもの人権を守るためには
我々大人が
その見本になってあげる。
それが、地道なようで
一番の近道だと思います😃
終わりに
いかがでしたでしょうか?
《差別の禁止》がテーマなので
第一条よりちょっと
長くなっちゃいましたが🖊️
ここまで読んで頂き
ありがとうございます🙏
こんな感じで今後も
《子どもの権利条約》
を広く認知させるべく
ひとつずつ
綴って行きたいと
思います📝
ではまた🤘
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